2025-05-29

生成AIの面白さとつまらなさ:無添加への回帰について

——この文章は生成AIを利用せずに作成されました。

これからの世の中、コンテンツの末尾に記載される但し書きは、「この文章は生成AIを利用して作成されました。」から、「この文章は生成AIを利用 "せずに" 作成されました。」という形式が増えていくのではないでしょうか。

生成AIの高度化と生活への浸透が猛スピードで進み、新機能の告知も導入事例の紹介も追うだけで精一杯、それどころか追いきれない世の中になってきました。

Webメディアをはじめとする文章コンテンツはAIによって執筆された記事が量産されていて、QiitaやZennでは明らかにAIが書いたのであろう、ChatGPTの回答フォーマットがそのまま転記された無機質なポストを目にする機会も増えました。

確かに生成AIは賢いし、博識だし、できることの幅や精度の伸び方が常ではなくて、「生成AIでこんなことができるようになりました!」とか「生成AIでこれを作りました!」という報告は面白いものばかりです。

一方で生成AIのトピックとは関係なしに、ネット記事を読んだり広告のキービジュアルを目にしたときに、それが明らかに「生成AIで作成されたもの」だと認識すると、その途端に興ざめしてつまらなく感じる機会も増えました。

数行のプロンプトを入力するだけで "それっぽい" 結果を返却してくれる生成AIは、いわゆるうま味調味料なんだと思います。生成AIは基本的に統計モデルであり、(一定のばらつきを持たせつつも)正規分布に従って標準的な回答を導出する仕組みは、一振りするだけでどんな料理にもうま味を加えられる味の素と機能がよく似ています。

すなわち、生成AIは大変優れた技術ではあるものの、毎日カップラーメンばかり食べていたら飽きるように、生成AIに委任して作成されたコンテンツは画一的で面白みにかける特性があります。

そうなると、次に起こるムーブメントというのは、無添加への回帰・オーガニックの再評価になります。インスタント食品よりも素材の味を感じられる手料理が好まれるように、生成AIが統計的に導出した文章よりも、生の人間の意志と魂が込められた肉筆の価値が相対的に高まっていきます。一時は生成AIによる画像生成や音楽出力が話題となり、クリエイティブな仕事ほどAIに駆逐されるというような言説もありましたが、小説や絵画など質が重視される芸術的な分野では、人間の仕事が生成AIに代替されることはまず無さそうです。(もちろん文章の推敲など、局所的な生成AIの活用で品質や生産性を高める取り組みは増えると思います。)

そんなわけで、このブログのように自分の頭で考えたこと、自分の肌で感じたことを自分の手で文字にしたためる行為の価値は相対的に上がっているかと思いますので、今後も隙を見て更新をしたいと思います。最後まで読んでいただきありがとうございました。

※この文章は生成AIを利用せずに作成されました。